京都の行政書士が作成した京都の南の奈良時代〜平安時代までの歴史の年表

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京都の南の歴史:奈良時代〜平安時代

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仏教文化興隆の時期

708
銅銭和同開珎が用いられる
711
山背に駅が置かれる
740
聖武天皇、恭仁京を造営
743
恭仁京の造営中止

恭仁京大極殿址8世紀になると、平城京に都が移り、山背、すなわち山の後ろの国として都に関係する鋳銭所などの諸施設が作られ、都にとって重要な位置を占める地となった。また、聖武天皇の時代には一時的にではあるにせよ、この地に都、恭仁京が造営された。このように都と深いつながりを持つ地として山背の地は発展していった。(写真:恭仁京大極殿址)

784
長岡京に遷都
785
造宮使藤原種継暗殺される
794
平安京に遷都
山背を山城に改める
859
行教が宇佐八幡宮を男山に勧請
(石清水八幡宮の起源)
946
岩船寺の阿弥陀如来像できる
1008
この頃、「源氏物語」成る
1052
藤原頼通、宇治の別業を仏寺とし、平等院と号する
1053
平等院鳳凰堂完成
1107
浄瑠璃寺本堂できる
1180
以仁王挙兵
源頼政、以仁王を奉じて挙兵し宇治で敗死
1184
宇治川の合戦
源範頼、義経が源義仲を破る

都が長岡京を経て平安京に遷り、国名も山城国と改められた。都では華やかな王朝文化が花開いたが、一方では社会不安や末法思想の影響で、来世の救済を説く浄土教がひろく信仰された。平等院、岩船寺、浄瑠璃寺などの阿弥陀堂が建立され、南山城は浄土信仰の中心の観を呈していた。この時代、加茂などに荘園が多く立てられていくが、この地方は、東大寺・興福寺など南都の大寺院が荘園領主が主であった。平安時代後期には源平の戦いに南山城も巻き込まれ、宇治川周辺などは主戦場となった。

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