京都の行政書士が作成した京都の南の奈良時代〜平安時代までの歴史の年表
仏教文化興隆の時期
都が長岡京を経て平安京に遷り、国名も山城国と改められた。都では華やかな王朝文化が花開いたが、一方では社会不安や末法思想の影響で、来世の救済を説く浄土教がひろく信仰された。平等院、岩船寺、浄瑠璃寺などの阿弥陀堂が建立され、南山城は浄土信仰の中心の観を呈していた。この時代、加茂などに荘園が多く立てられていくが、この地方は、東大寺・興福寺など南都の大寺院が荘園領主が主であった。平安時代後期には源平の戦いに南山城も巻き込まれ、宇治川周辺などは主戦場となった。 |
京都の南あれこれ |
![]() |
当サイト中のテキスト、画像など全てのデータの無断転載を禁じます
2004−(c) 京都の南探訪 行政書士による地域情報コミュニティサイト All Rights Reserved.