京都の行政書士が作成した京都の南の奈良時代〜平安時代までの歴史の年表
仏教文化興隆の時期
8世紀になると、平城京に都が移り、山背、すなわち山の後ろの国として都に関係する鋳銭所などの諸施設が作られ、都にとって重要な位置を占める地となった。また、聖武天皇の時代には一時的にではあるにせよ、この地に都、恭仁京が造営された。このように都と深いつながりを持つ地として山背の地は発展していった。(写真:恭仁京大極殿址)
都が長岡京を経て平安京に遷り、国名も山城国と改められた。都では華やかな王朝文化が花開いたが、一方では社会不安や末法思想の影響で、来世の救済を説く浄土教がひろく信仰された。平等院、岩船寺、浄瑠璃寺などの阿弥陀堂が建立され、南山城は浄土信仰の中心の観を呈していた。この時代、加茂などに荘園が多く立てられていくが、この地方は、東大寺・興福寺など南都の大寺院が荘園領主が主であった。平安時代後期には源平の戦いに南山城も巻き込まれ、宇治川周辺などは主戦場となった。 |
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