京都の行政書士が作成した京都の南の古代の歴史の年表
多数の古墳が作られた時期
約2万5千年前、旧石器時代後期に京都盆地周辺に最古の人々の生活の跡がみとめられる。約1万年前にはじまった縄文時代には土器や弓矢が発明され、食料獲得の幅が広がり山城地方にも点々と集落の跡が残された。稲作のはじまる弥生時代には、山城では近代の農村景観に近いまでの集落が広がっていった。笠置山などでは土器等から山岳信仰の痕跡が発見されている。
3世紀の終り頃、山城町椿井に築かれた 椿井大塚山古墳 は、それ以前の古墳と異なり、1人の死者のために大量の労働力を投入して大前方後円墳を築き、その中に豪華な副葬品を納めるものであった。このような大型古墳が築かれた背景には、強力な支配者を中心とする階級社会が成立したことをうかがい知る事ができる。(写真:椿井大塚山古墳)
京都の南が有史の記録に始めて登場したのは、「日本書紀」である。511年に都が置かれたとの記録が残っており、それを示す石碑が同志社大学キャンバス内に残っている。6世紀半ばに日本に仏教が伝来し、6世紀末には国家的な仏教興隆策により、山城各地にも寺院が造られた。(写真:筒城宮跡石碑) |
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