京都の行政書士が作成した京都の南の鎌倉時代〜室町時代までの歴史の年表

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京都の南の歴史:鎌倉時代〜室町時代

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人々による自治が発達した時期

1221
承久の乱
北条泰時の軍勢、朝廷軍を宇治川で破り、入京

南山城では荘園が発達し、興福寺と石清水八幡宮との用水をめぐる争いのように、朝廷・幕府をもまきこむ大事件もおこってくる。こうした争いは、荘園の村落で名主層を中心とした農民の団結をうながし、山野や用水の利用を通じて惣村と呼ばれる自治村落が芽生えてくる。祭祀をとおして団結をはかる宮座の構成、石塔石仏の造立がはじまるのは、このあらわれである。

1331
元弘の乱
後醍醐天皇笠置寺に逃れる
幕府軍により笠置陥落・後醍醐天皇捕らえられる
1428
正長の土一揆
1466
山城徳政一揆
1485
山城国一揆
山城の狛氏、木津氏、田辺氏らの国人が畠山の軍勢の撤兵を要求
1493
山城国一揆崩壊
伊勢貞陸、山城守護となり鎮圧
1582
山崎の合戦
羽柴秀吉、明智光秀を破る
太閤検地の開始
羽柴秀吉、山城の検地を開始

元弘の変、笠置寺攻防戦に始まる南北朝の内乱は、南山城を戦場とした。その中から、各地に狛氏、木津氏、田辺氏などの国人と呼ばれる地侍が登場し、勢力を伸ばしていった。また、貨幣経済が農村にも浸透し、馬借や車借といった運輸業者も現われ、高利貸に対する土一揆が頻発した。また、精霊踊り、六斎念仏などの芸能が興った。応仁の乱は、再び南山城を戦場に変えたが、国人を中心に結束した人々は、軍勢を追い出し自治を行った。山城国一揆である。一揆は9年足らずで崩壊したが、守護大名の支配を退け、地元民による自治を進めた面で画期的な事件であった。その後、太閤検地などにより身分関係が確立され、目立った動きは起こらなくなっていった。

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